
第5回 習慣 
意識的にでも無意識的でも、人には長年繰り返してきたことが習慣として身に付いている。一度習慣として身に付いたことを変えるのは大変苦痛であり、不可能に近い。そこで、「癖は直せない」「長年の習慣だから」と言い訳をし、直すのを諦める。しかし、変えることはできなくても全く新しい別の習慣を身につけることは可能である。例えば、自分が望む人間像を思い描き、そのように振る舞う。自分にとって理想の人間を演じる。そしてその行動を習慣にしてしまう。そうすれば、悪い癖が直っていなくてもそれを補いうる習慣を身につけることができる。やがて、それが自分の癖になり、本物になる。
どんなに悪い習慣を続けて酷い性格になっていたとしても、自分さえその気になれば、いつからでも新しい習慣を身につけることができる。今の自分を作り上げたのは自分自身であって、決して他人や環境のせいではない。それを自覚し、これから新しい自分を作り上げようという強い意志を持つことが大切である。新しい習慣は、子供が言葉を覚え始めた時やよちよち歩き始めた時のように、初めはぎこちなく下手である。それでも諦めずに続けていれば、いつの日か楽になった自分に気づく。そのとき、自分は解放されたと感じられるだろう。
第4回 人間のエネルギー
人間に必要なエネルギーを電力に例えると、「火力発電」「水力発電」「原子力発電」になる。「火力発電」とはカロリー、つまり栄養を取ることである。「水力発電」とは、水分を取ることである。「原子力発電」とは精神力、つまり心の問題である。人間のエネルギーとして栄養分や水分が必要なことは誰でも知っている。しかし、心が前向きか後ろ向きかによってエネルギーの方向がプラスになったりマイナスになったりすることには気がつかない。陰気になっている状態でどんなに栄養や水分を取っても、生活習慣病のもとになるだけで、かえってアレルギーを引き起こすこともある。逆に、陽気でいれば栄養が少なくても健康でいられるということもある。
人間は自分自身もエネルギーを放出している。プラスのエネルギーは人を癒す愛である。愛とは、優しさや慈しみ、美しさのことである。愛のエネルギーは分け与えることにより強くなり増殖する。マイナスのエネルギーは、人を傷つける不安である。不安は不安を呼び、恐怖となる。理性と冷静さを失い、ついには残虐行為に走らせることもある。不安のエネルギーも人から人へと伝播する。やがて大きな恐怖となり、大事故を招く。どちらのエネルギーも所詮は人間が発したものであり、人から出なければ何処にも存在しない。どうせならプラスのエネルギーを発していたい。
第3回 笑い
「笑っていいんだ。笑おうよ。」2001年9月11日のアメリカ同時多発テロから2週間後、当時ニューヨーク市長だったジュリアーニ氏はテレビで市民に向かってこのように笑いかけた。日本でなら、「なんて不謹慎な」と怒られそうな言動である。日本人は深刻な状況になればなるほど「笑ってはいけない」と思う。そして、ますます気が沈んでしまう。14年前、韓国で国家破産寸前まで追い込まれていたとき、金大中大統領は国民に「まず笑おう」といって笑って見せた。韓国民はこれに呼応し、この危機は回避された。
あるデパートの食堂に大富豪の老母がやって来た。「お待ちどう様でした」と料理を運んできたウエイトレスは、その老母に「どうぞ」と言って軽く微笑んだ。あまりにも自然で優しい振る舞いに老母はすっかり惚れ込み、「この娘を息子の嫁にしたい」と思った。このウエイトレスは、後に大富豪夫人となったのである。
社会奉仕とは、見返りを期待せずに善い行ないをすることである。そして、誰もができる最大の社会奉仕は笑顔を振りまくことなのだ。笑顔を見せられて不愉快になる人はいないのだから。
第2回 心は病を克服できる
病気を治すことより病気を克服することを心掛けた方がよい。病気に心を乱され、支配されると、いつも病気の事ばかりを考えてしまう。そして、テレビや雑誌などで魅力的な改善方法を知るとすぐに飛びつき、効果が現れないからとすぐ他の方法に変更する。このように、せっかちになっている人は自分の心をコントロールできていないということだ。心の訓練は難しいが、心を鍛えることに喜びを感じるようになればよい。体の痛みは苦しいが、耐えることに誇りを持てるようになればよい。真の目的は心の健康であり、体の健康ではない。病気は健康の意義を教えてくれる。自分にとって今何が足りないのか。放漫になった己を気づかせてくれるのだ。
たとえ体は苦しんでいたとしても、心はそれを克服できる。病に倒れながらも精神はかえって強くなり、謙虚になる。家族との絆を取り戻し、寧ろ幸福な最期を迎えた人を我々は何人も目撃している。体の回復ばかりに気を取られて肝心の心や精神の健康回復を気に留めない人は、結局全てを失ってしまう。周囲に感謝して自らの分を知り、謙虚に生きれば病気は自ずと回復する。たとえ体の病気が完全には治らなくても、心は幸せな人生を全うすることができるのである。
第1回 病気になるわけ
あらゆる病気や症状は、人生についての考え方が間違っているというサインであり、それを考えさせようとしている。熱を出したり、だるくなったり、元気が無くなったりして、改めなければもっと苦しむぞと教えているのだ。
本来、人間の体には「内なる医者」がいて、自己免疫を使って病気を治すことができる。皮の靴は、傷が付けばどんなに上手く修繕しても元通りにはならない。しかし、人間の皮膚は縫ったり消毒をしたりすれば元通りに治る。癌細胞は人間の身体の中から生まれ、その発生理由・成長因子も身体の中にある。つまり、それを治療する力も身体の中にあるということだ。しかし、人によっては癌の成長を抑えられず、癌とともに死んでしまう。癌細胞ほど自己の生存にこだわり続ける存在はない。「自分だけが生きれればいい」と癌細胞は考えるのだろうが、結局は人間が死ねば自分も死ぬのだ。一方、正常細胞は自らの寿命を知り、老化して死んでいく。不老不死を望み、周囲との調和を考えずに自分だけが良ければいいと考える癌細胞は、まさに人間らしい存在だといえるであろう。「内なる医者」は癌細胞にエゴを捨てるよう諭す。一つの細胞の寿命より大切なものがあり、結局はもっと長い寿命が得られるのだと。
人は何のために生きているのか?何のために働いているのか?いつの間にか目的のための目的になり、手段のための手段になってしまう。「家族のため」と言いながら、家族との会話や団欒を犠牲にして夜遅くまで飲み会に明け暮れたり、せっかくの休みでも一緒に過ごさなかったりしていないだろうか。病気になることで、自分の生き方について考える時間が与えられるのだ。






